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ジュエリーは誰のため?知られざるジュエリーの歴史

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ジュエリーは誰のため?知られざるジュエリーの歴史

ジュエリーは誰のため?知られざるジュエリーの歴史

2023/09/20

こんにちは、ジュエリー愛好家の皆さん。

今回は、宝石とジュエリーの世界にタイムトラベルし、1800年前半の時代に足を踏み入れてみましょう。

 

当時のジュエリーの世界は、現代とはまったく異なります。

まず、1800年代初頭は電気がまだ一般的ではなかったため、夜になれば真っ暗でした。

夜のショッピングといえば、私たちが想像するような明るく魅力的な照明があるわけではありません。

 

お店の雰囲気も今とは異なり、宝石店内にはほとんど商品が並んでおらず、サンプルや宝石の素材、そしてデザインブックを持った店主が店番をしていました。

お客様が訪れると、店主は注文や希望を聞き、デザインブックを参考にして、お客様が望む宝石を手作りします。

そしてこの時代のジュエリーは、「男性が選び、男性が作り、男性が購入するもの」で、女性が自分で選ぶことはほとんどありません。

当時は、女性が家庭に入ったら外出せず、外出する際にも必ず男性がエスコートしました。

 

1800年頃から1930年くらいまでのジュエリーは、現在では「アンティーク・ジュエリー」と呼ばれています。この時代のジュエリーは、男性的な要素が強調されており、個々のジュエリーは注文に応じて製作されたため、同じデザインの宝石はほとんど存在しないと言えます。

さらに、この時代のジュエリーの特徴の一つは、ほとんどがイギリスで作られたものであることです。

産業革命により新しい社会階層が生まれ、消費の需要が高まったため、他の国々よりもイギリスでのジュエリー製造が進んでいました。

 

1890年代に入ると、ジュエリーの量産が始まり、同じデザインの宝石が複数作られるようになりました。

これにより、小売店の営業形態も変化し、店側が独自に宝石を制作し、店頭に並べて客を待つ形態が登場しました。

ジュエリーのカタログや新聞の広告も初めて登場し、ジュエリーが量産制になったことを反映しています。

 

1870年頃には、ガス灯と大きな板ガラスの生産が技術的に可能になり、新しい商業空間であるアーケードが登場しました。

これにより、夜のショッピングが始まり、連れ立った男女が美しい照明の下でショーウィンドウを見て歩く光景が生まれました。

商店街の多くは宝石を含む奢侈品を扱っており、これがジュエリーの大衆化を促進しました。

 

しかし、まだ女性が自分のために宝石を選ぶ時代ではありませんでした。

未だに財布を握っているのは男性であり、商品の選択権も男性にありました。

 

 

その後第一次世界大戦が始まります。

欧州を中心に大規模な戦争が勃発し、膨大な数の戦死者を出すこととなりました。

この戦争での犠牲者は、従来の戦争に比べて圧倒的に多く、軍人だけでも1000万人以上に上りました。

その主な原因は、新たな武器技術の発展により、機関銃、戦車、航空機、毒ガスなどの大量破壊兵器が初めて大規模に使用されたことです。

 

戦争による犠牲者のほとんどが男性であったため、欧州社会では男性が急激に減少しました。

しかし、社会は誰かが回さねばなりません。その穴を埋めたのが女性でした。

ここから、女性が外で働き、自身の収入を持ち、独立した生活を始める時代が幕を開けたのです。

今では当たり前のことですが、この変化が始まったのは約100年前のことです。

 

この社会の変化に伴い、女性のファッションとジュエリーも大きく変わりました。

まず、女性の服装についてです。

女性が働くためには、以前のような長いドレスやデコルテージの深い服装では不便でした。

そのため、スカートの丈は短く、直線的なデザインが主流となり、非常に男性的な服が登場しました。

 

ジュエリーもまた大きな変化を遂げました。

従来の曲線的で繊細なデザインの宝石に代わり、下記のデザインが支持されるようになりました。

(1)小ぶりになった

以前の大きな宝石は働かなくても良いことを示し、相手を威圧する富の象徴でしたが、女性が日常的に身につけやすい小ぶりのジュエリーが増えました。

(2)明瞭なデザインになった

直線的で幾何学的な抽象デザインがトレンドになりました。メンズライクでアクティブな女性像に合ったのでしょう。

 

こうして、女性が自身でジュエリーを選び、購入し、身につける新しい時代が始まりました。

そして、以前は王侯貴族しかつけていなかった宝石ジュエリーは、サイズやデザインに多彩なバリエーションが生まれたことによって大衆化しました。

また、様々な文化が交流し影響を与えたため、多様性豊かなデザインが登場しました。

 

 

また、ジュエリー市場において、日本は特異な存在です。

飛鳥時代から江戸時代の終わりまで、1000年以上にわたり、日本ではほとんどジュエリーが存在しませんでした。

髪飾りや帯留めはあれど、ネックレスやリングの文化がなかったのです。

しかし、開国以降、わずか100年ほどで、日本はジュエリーの消費大国となりました。

1990年前後には、年間のジュエリー市場規模が3兆円に達し、女性1人当たりのジュエリーの支出額は世界一になりました。

 

現在は市場規模が縮小しましたが、日本の女性は依然としてジュエリーに高い関心を寄せ、世界でもトップクラスのジュエリー消費国と言えます。

100年ほど前まで、ジュエリーを身につける文化がほとんどなかった国が、ジュエリーを愛し、楽しむ国として脚光を浴びているのです。この変化は、まさに不思議なものですね。

ジュエリーの歴史におけるこの重要な転換期を振り返りながら、ジュエリーの魅力と多様性がさらに深まることを期待しましょう。

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